1.私がアーティストとして興味のあることは、「環境」から得るインスピレーションから作品を立ち上げること、そして、観客の五感を触発を与える「場」の提供だ。私の作品は、必ず、「生身の人間」を空間に配置し構成する。「言葉よりも、言葉の周辺」「身体よりも、身体の周辺」に人間の可能性はあるのではないか、と考える。それらを立ち現すため、または観客と演者の物理的な「距離」を決めることで、感情や感覚を引き出し、身体の関係性を浮き彫りにすることを目指す。
I think a hope for human being might be found in “around the words not in the words” and
“around body but not in body”
To make it appear or by deciding a physical distance between spectators and performer, I try to bring out emotions or feelings and highlight a relationship with body.
日常でのしがらみ(社会的役割など)をいったん横に置いて、他者の身体をじっくり見る行為を通して、自分と向き合うことのできる時間の提供。現在は、「演劇」「ダンス」「美術」各々の文脈でアーティスト活動している。ジャンルのハブになることで、既存のジャンルに新しい風を吹かせ、表現や思考の可能性の幅を広げる存 在であることを目指す。そして、「演劇」「ダンス」「美術」各々の文脈で語ることができ、同時にジャンルレ スな新しいジャンルの構築を目指す。
アーティストの実践とは作品をつくることだけでなく、作品を通してなににどういう貢献をしているのか自覚を持つことを含んでいる。それは立ち位置を自覚して、「アートとはなにか」「作品とはなにか」という問いへ答えることに繋がる「外部者」であることを求めて、「人間の本質」を追い求めていきたい。2.「都市の余白のような公園」と「Mind and body」をテーマに作品を創作したい。滞在場所近辺の公園についての歴史を調べ、各所を回るツアー型作品を創作する。
人間の生活の営みが途絶えた「場」は、その「場」で 新しい物語を上書きする人々に対して、無言で何かを 教えて教えてくれる。 積み重ねられて複雑になっている「場」の歴史は、人間 の営みが途絶えた「場」に化石化している。 そこに、観客が違う物語を紡ぎ、 「場」の持つ意味の再解釈を身体を通じて探る。私はその場所特有の「匂い」と「音」、そして「ストーリー」と「メモリー」を追い求めている。自分で歩き、景色、建築、植物、歴史に思いを巡らせることで場所と密な対話ができると理解している。
I walk on my own, I go around the thoughts of scenery, architecture, vegetation and history and understand if the place and the secret interactions.
「歩いてゆけば『私の場所』、つまり『思考とインプレッションのすべてが凝縮され、それがイメージやアイデア、プロジェクトとなるスポット』にいずれ出会える」という現実に任せる。去年、劇場において日韓の問題は深刻化している話を聞いたが、レジデンス創作に臨みたいと思いました。日本人である自分が韓国に訪れることで、積み重ねられて複雑になっている「場」の歴史から五感に何を感じるのか、を可視化させる。それらは、日韓の問題を超えることができるのか、を発見する。
近年の問題意識は「なぜ『東京』に拠点を持ち暮らしているのか」。実母の故郷である東北から問いを考 えたときに、生まれた疑問。この個人的な問題を出発点に、「東京」で創作を行なってきた私が、異なる「場」で創作することを通して、自分にとって当たり前になっている立場を疑ってみることで「問い」を生み出したい。 このプロジェクトを通して、「部外者」としての保証があって土地を訪れ、また、全く違う言語で全く違う価値観に触れる。そして、土地にまつわる気づきや驚きのセンサーをより活発にしたい。
A problem that was born since I thought that because my real mother's hometown was Touhoku. This personal problem's starting point was that I was making my work in「Tokyo」, making my work in a different place, for me I started doubting the position that was natural for me so I wanted to create this 「question」. For this project, there was a guarantee for 「outsiders」and visited other lands, So I got to experience a completely different language and completely different values. And the sense of notice and surprise related to that land had a twist and wanted to make it alive.
これまでに様々な場所に滞在し活動する機会がある。多くの場合(そうすることが好き)、前もって計画を立てず旅に出る。旅先に着いていつも最初にすること、それは「歩く」こと。作品のための場所やフォルムを求めて見知らぬ土地をあてもなく歩き、道端に転がるものを拾い集める。それは、形や素材であったり、その土地の習慣や出来事であったりする。私の作品は例外なく、それを創る場所と深く結びついている。
対象を詳しく調べ、言語や文化の壁を乗り越え人々の間に、過去と未来の間に、そして内なる景色と外なる景色の間に橋を架けたい。この経験は、制作活動や生活などを通して、アーティスト同士、もしくはアーティストと地域の人の「いま・ここ」の経験が分けられないものになる。そのなかで気づきを繰り返し、制作を続けていることは、文化的多様性に貢献することであり、世界へ還元されるだろう。これらの経験が常に「外部者」であることを求めて、「人間の本質」を追い求めていきたいとおもっている自分の役に立つ。
This experience will not be separated from the experience of “now/here” through creative works and lives
between artists and between artist and the regional people.
Through this, I can say that to continue to create by having noticed again and again will be a contribution to the cultural diversity, so it will return to the world.
All these experiences help me who want to be always “outsider” and pursue “human nature”