私には非常に単純な論理があり、数々の物はいつもそれ自体で自動的に構成を
なしていると主張してきた、私の構成とは、そういった物を、それ自体がかってに
形成するにまかせておくことで成り立っているのである。
偶然—結局のところ偶然ほど調節出来る物はない。法則に従う偶然の場合、例え
ば量の場合など、それはもう偶然などとは言えないだろう。偶然とは、私のとって
素材であり、空白である。
A fortuity: eventually, there is nothing other than a fortuity that is adjustable. In the case of a fortuity complying with the rule such as the case of an amount, we cannot say that it is a fortuity. A fortuity, for me, is a material and a vacuum.