翻訳者レビュー ( 日本語 → 中国語(繁体字) )
評価: 50 / 1 Review / 2018/09/29 13:51:14
応仁の乱の時には、一時離散していましたが、戦が終わると職人達が京都に戻り、織物作りを再開します。その職人が戻ってきた場所が、西軍の総大将・山名宗全率いる西軍の陣地が置かれていた辺り。
その頃から、西軍の陣地があった場所=「西陣」と呼ばれるようになりました。
在應仁事變時期,大家暫時疏散,但戰爭結束後,工匠們回到京都並恢復織物製作。 工匠回來的地方是由西部軍隊將軍山名宗全率領的西軍陣地一帶。
從那時起,西軍陣地即被稱為“西陣”。
レビュー ( 1 )
元の翻訳
在應仁事變時期,大家暫時疏散,但戰爭結束後,工匠們回到京都並恢復織物製作。 工匠回來的地方是由西部軍隊將軍山名宗全率領的西軍陣地一帶。
從那時起,西軍陣地即被稱為“西陣”。
修正後
在應仁之亂時期,曾逃離散去一段時間,但戰爭結束後,工匠們回到京都並恢復織物製作。 工匠回來的地方是由西部軍隊將領山名宗全率領的西軍陣地一帶。
從那時起,因為是西軍的陣地所在之處,所以就被稱為“西陣”。
短文整體翻譯到了,但是意思上有缺誤。故作此評價,還請諒解。評分解釋與建議如下:
譯為事變不妥,原因有二。一是比照歷史學術上已有且廣為流傳的翻譯,應譯為應仁之亂。
二是參照事變在中文的語境應是描述一個戰爭之中或是兩個戰爭之間的重要事件或是轉折點,或是政權的交替。
被稱作應仁之亂的事件期間跨越十年且涉及到多個利益集團在此期間內多場的戰爭,以事變二字涵蓋如此規模的事件欠妥。
「大家暫時疏散」的翻譯由於字數短和選詞的關係,在這篇略有描述戰爭苦難,口吻較為正經的描述文章當中顯得過於口語化,故私自增加了字數。且「暫時離開」讓戰爭帶來的遷移顯得過於輕鬆故改譯如此。
「將軍」之處,由於在日本文化之中將軍有特殊階級含義並被其他語言宏觀上認可,故採用將領這一詞。
「西軍陣地即被稱為“西陣”。」此譯法有缺失。
「西軍の陣地があった場所=『西陣』と呼ばれるようになりました」原文中雖是以標點符號表示,其實還有著陳述因果關係的意思。
若是不以標點符號表示,原文應是這個樣子:「西軍の陣地があった場所ですので、『西陣』と呼ばれるようになりました」故翻譯後應如修改處。
還請翻譯時除了關注自己如何理解之外,也多參照查找中文已有或類似的翻譯或表達,並反思自己已知的中文詞彙意義。
在翻譯時不忘考慮整篇文章的氛圍、中日文化的差異,句子前後的因果關係。
希望這篇評論能為你我的進步提供參考,共勉。
2.地名・人名・お祭りの名前や役職などの特殊な語は「翻訳(日本語)」のような形で日本語を併記してください。
また、可能な範囲で各神社・お祭りの公式ウェブサイトなどを参照していただけると助かります。
例:
八坂神社→Yasaka-Shrine(八坂神社)
祇園祭→Gion-Matsuri(祇園祭)
3.シリーズ物のタイトル・本文中のワードを下記に統一でお願いいたします。
【広報担当のあれこれ日記】
【PR staff's various diary】
【宣傳負責人的雜談日記】
【宣传负责人的杂谈日记】
【홍보 담당의 이것 저것 일기】
京都市の世界遺産シリーズ
Kyoto city world heritage series
京都市世界遺產系列
京都市世界遗产系列
교토 시의 세계 유산 시리즈
☆特集:京都の温泉シリーズ☆
Feature: Series of onsen in Kyoto
特輯:京都的溫泉系列
特辑:京都的温泉系列
특집 : 교토 온천 시리즈