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[英語から日本語への翻訳依頼] 冬が過ぎ、37年の春、アントニウスは大艦隊を組んでアテネからイタリアに向け出航した。アントニウスはブルンディスィウムが再び彼の入場を認めようとしないことを...

この英語から日本語への翻訳依頼は 3_yumie7 さん leutene さんの 2人の翻訳者によって翻訳され、合計 2件の翻訳が投稿されました。 依頼の原文の文字数は 713文字 で、翻訳完了までにかかった時間は 4時間 12分 です。

symeによる依頼 2013/09/08 01:57:58 閲覧 948回
残り時間: 終了

The winter passed, and in the spring of 37 Antonius sailed with a large fleet from Athens to Italy. Once again he found that Brundisium would not admit him. Not that he had either the desire or the pretext for war, but he was in an angry mood. Once again for the benefit of an ambiguous partner he had to defer the complete pacification of the East. Caesar's heir journeyed to the encounter, taking a varied company that included Maecenas and L. Cocceius Nerva (still perhaps a neutral), the negotiator of Brundisium, also the Antonian C. Fonteius Capito and a troupe of rising poets. Pollio was not present. If invited, he refused, from disgust of politics. Resentful and suspicious, the dynasts met at Tarentum.

3_yumie7
評価 60
ネイティブ
翻訳 / 日本語
- 2013/09/08 02:25:20に投稿されました
冬が過ぎ、37年の春、アントニウスは大艦隊を組んでアテネからイタリアに向け出航した。アントニウスはブルンディスィウムが再び彼の入場を認めようとしないことを知った。戦争をしたい訳でも戦争の口実を作るわけでもなく、彼は気分を害していた。そこで彼は再び曖昧な同盟者のために、東方の完全な講和を延期せざるを得なかった。カエサルの後継者は、マエセナス、L・コッケイウス・ネルウァ(おそらくまだ中立的立場であったのだろう)、ブルンディスィウムの交渉者、またアントニウス派のC・フォンテイウス・カピット、有望な詩人たちの部隊を含む者達を率いて遭遇戦のため旅立った。ポリオは参加しなかった。駆け引きを嫌っていたことから、もし招待されても断っただろう。憤慨し疑念を抱きながら君主らはタレントゥムで会った。
symeさんはこの翻訳を気に入りました
leutene
評価 61
翻訳 / 日本語
- 2013/09/08 06:10:01に投稿されました
冬が過ぎ、37の春に、Antoniusは、アテネからイタリアまで何隻もの船で航海をした。
そして、Brundisium が自分の事を良く思っていない事を、思い知った。戦争をしたいという意志やその理由を言う訳ではないが、怒っているかの様であった。曖昧な相手に利となる事柄を説き、東の講和条約を結ぶ事を、又も、延期しなければならなかった。シーザーの相続人は、Maecenasや、(現在も中立の立場でいるかもしれない)L. Cocceius Nerva、Brundisiumの交渉人、そしてAntonian CFonteius Capito, 前途有詩人の一群などのお供を連れ、遭遇の場所に向かった。
Pollioの姿は、そこには無かった。もし、来るように言われても、政治への嫌悪感から来なかっただろう。怒りと疑惑に満ちた感情で、それらのリーダーは、Tarentumに集まった。

クライアント

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固有名詞は訳さず結構です。

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