Michel González (gonmigonmi)

本人確認済み
7年以上前 30代
ベネズエラ
スペイン語 (ネイティブ) 英語 日本語

ゴンザレズ・ミチェル

物事を決めるに際しては、簡単に決める人もいれば、苦労して決める人もいるが、いずれにしろ、私達は常に物事を決めている。私の場合、将来の進路を決めるに際しては、全く自然体というか、身構えることなく決めたが、新たな経験を通じ、私のアイデンティと職業は専門的分野で開花した。私はカラボボ州バレンシアのアルトゥーロ・ミチェレーナ大学で現代言語学・ビジネス言語学課程を履修し、人文学部を卒業した。私の言語学習への傾倒は、私がまだ幼かった時に、多くの人がそうであるように様々な方法で様々な言語に接する過程で生まれた。しかし、私は非常に幼い時期から言葉への関心を深め、これが少しずつ、私を英語へと導いた。一方で、私の家族はまた、私がさらに言語の世界へ入り込む上で大きな後押しをしてくれた。私の母方の家族、とりわけ“日が昇る国“の血を受けた曾祖母は、特に日本とアジアの文化の影響を常に受けていた。移民4世として母方の出身国の言語を絶やさないため、まずは私の妻に、それから私の子供達に日本語を教えた。

私の日本語練習は、私がまだ高校生だった若い頃に始まった。私が高校2年生の年にその切掛けとなったのが英語、ロシア語、スペイン語、アラビア語と中国語について調べものだったことを覚えている。この調べものの過程でこれらの言語の論理的働きをもっと深く学び、理解したいという欲求が芽生えた。こうして独学での学習が始まった。とは言え、私にとって非常に複雑な象形文字をもっと理解したいという欲求を目覚めさせたのは非常に数が多く、複雑な中国語の漢字標記の仕組みだったと言える。これに続き、私は中国語と漢字表記の仕組みを学び始めた。そしてインターネットで“漢字表記の仕組み“を検索した。検索の結果、中国語を学ぶための興味深い2つの音節表の存在を突き止めた。その表は2つのグループに分けられ、最初の音節表を記憶するのに4時間、残りの音節表の記憶に4時間、合わせて8時間を要した。驚いたことに、これらの音節表を学習したら、非常に速く漢字を学習し記憶することが出来た。もっともそれは中国語の漢字の表記方法に対応したものではなく、日本語の2つの音節表に対応していた。中国語を学んでいると思い込んで、日本語を勉強していたという間違いをしたことに自分でも大変驚いた。しかし、一旦それらを学んだからには、私は“ひらがな“と“カタカナ“を流暢に読めるようになりたいと思い、日本語をもっと学ぼうと決意した。私は日本語に関する膨大な情報にアクセスすることが出来た。

他の10代の青年同様、私は一人でいる時、日本語に関する読書に多くの時間を費やした。そして、2~3か月後には日本語について多くのことを理解した。私は実際に日本語を使い始め、2か月後には160もの漢字を学び、それらの筆記練習に多くの時間を費やした。数年が経過、高校を卒業した際、私は日本語教室に通うべく首都カラカスへの引っ越しを決めた。そして、2007年に私は日本語教室での勉強を始めた。私は平林みゆき先生のクラスを取った。先生が日本への帰国を決意する2010年末まで先生のクラスを取り続けた。このクラスを取っていた間やカラカス滞在中の思い出はたくさんある。先生は度々私に静かにして他の生徒に質問に答える機会を与えなさいと注意したことや、いち早く履修が終えるよう祈りなさいとも言われたことなどを思い出す。これらすべてがこの特殊言語への私の決意や愛情を徐々に強くした。2009年に私は叔母の友人から提案を受けた。それはバレンシアで彼女の娘に日本語を個別指導するというものだった。私は躊躇なく引き受けた。そして毎週水曜日に指導のためカラカスとバレンシア間を移動しなければならなかった。かくして、ダナリィ・トレアルバは私の最初の日本語生徒となり、彼女がより自立的に日本語学習に取り組めるようになるまで長期にわたり教えることが出来た。彼女はその後、自身で学習を続けることを決めた。2010年私はアルトゥーロ・ミチェレーナ大学の現代言語学課で勉強を始めた。そこでは主として英語を学んだ。私はキャンパス文化学部での活動に喜びを覚えることが出来た。それは、課外授業として日本語を教えてはどうかという提案だった。私の提案は歓迎され、大教室で強い熱意を持つ40人を超す学生に教える一方、机不足のためフロアでも教えることを決めた。私はこの新しい会館の友人となり、5年連続で“一日日本“という文化イベントを開催することが出来た。イベントでは日本語の書道のデモンストレーションを行うことが出来たが、和紙と墨で自分の苗字と名前を私に書いてもらおうと生徒たちの長蛇の列が出来た。加えて、妻のディアナ・ロアの助けを借りて、かなりの量の日本食、寿司、折り紙、“カナ“文字の入った綺麗なポンチョを作ってくれた。私のキャンパスへのコミットメントと生徒に対する私の指示や調整が功を奏し、生徒たちは私の様々な活動を精力的に手伝ってくれた。生徒たちは皆、“ハッピ“をまとい、大きな笑顔を届け、素晴らしい一日にしてくれた。こうした無条件のコミットメントは私が大学を卒業するまでの5年間にわたり続いた。その間私は450人を超す生徒を受け入れることが出来た。他方、同時にアラグア州マラカイで私の妻と私のパートナーであるフランク・フローレスと共にパンダ学園と呼ばれる日本語の私立学校を運営した。この学園では2010年から今日まで様々な年齢の生徒たちの混合授業を行ってきた。ベネズエラ人の各生徒が良い価値観や原理を身に付けるよう指導、日本の文化や言語により馴染むよう心掛けた。私のコミットメントは無条件のものであり、生徒達が彼らの目標を達成し、今日ベネズエラが日本との間で有す二国間交流の活動において活躍出来るよう意を砕いた。折り紙、習字・書道の体験教室ワークショップの開催、在ベネズエラ日本大使館に協力して生徒達の日本語スペーチ・コンテスト出場や日本語能力試験JLPTs受験の準備を受験の準備を支援したり、生徒間でのコミュニケーションや関係性改善向上を狙った“パンダ・チャレンジ”

実績

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