二
こちらは地獄の底の血の池で、ほかの罪人と一しょに、浮いたり沈んだりしていた陀多(かんだた)でございます。何しろどちらを見ても、まっ暗で、たまにそのくら暗からぼんやり浮き上っているものがあると思いますと、それは恐しい針の山の針が光るのでございますから、その心細さと云ったらございません。その上あたりは墓の中のようにしんと静まり返って、たまに聞えるものと云っては、ただ罪人がつく微(かすか)な嘆息ばかりでございます。
これはここへ落ちて来るほどの人間は、もうさまざまな地獄の責苦に疲れはてて、泣声を出す力さえなくなっているのでございましょう。ですからさすが大泥坊の陀多も、やはり血の池の血に咽(むせ)びながら、まるで死にかかった蛙のように、ただもがいてばかり居りました。
ところがある時の事でございます。何気なく陀多が頭を挙げて、血の池の空を眺めますと、そのひっそりとした暗の中を、遠い遠い天上から、銀色の蜘蛛の糸が、まるで人目にかかるのを恐れるように、一すじ細く光りながら、するすると自分の上へ垂れて参るのではございませんか。陀多はこれを見ると、思わず手を拍って喜びました。この糸に縋りついて、どこまでものぼって行けば、きっと地獄からぬけ出せるのに相違ございません。いや、うまく行くと、極楽へはいる事さえも出来ましょう。
そうすれば、もう針の山へ追い上げられる事もなくなれば、血の池に沈められる事もある筈はございません。
こう思いましたから陀多(かんだた)は、早速その蜘蛛の糸を両手でしっかりとつかみながら、一生懸命に上へ上へとたぐりのぼり始めました。元より大泥坊の事でございますから、こう云う事には昔から、慣れ切っているのでございます。
しかし地獄と極楽との間は、何万里となくございますから、いくら焦って見た所で、容易に上へは出られません。
ややしばらくのぼる中に、とうとう陀多もくたびれて、もう一たぐりも上の方へはのぼれなくなってしまいました。そこで仕方がございませんから、まず一休み休むつもりで、糸の中途にぶら下りながら、遥かに目の下を見下しました。
すると、一生懸命にのぼった甲斐があって、さっきまで自分がいた血の池は、今ではもう暗の底にいつの間にかかくれて居ります。それからあのぼんやり光っている恐しい針の山も、足の下になってしまいました。
この分でのぼって行けば、地獄からぬけ出すのも、存外わけがないかも知れません。陀多は両手を蜘蛛の糸にからみながら、ここへ来てから何年にも出した事のない声で、「しめた。しめた。」と笑いました。ところがふと気がつきますと、蜘蛛の糸の下の方には、数限もない罪人たちが、自分ののぼった後をつけて、まるで蟻の行列のように、やはり上へ上へ一心によじのぼって来るではございませんか。
陀多はこれを見ると、驚いたのと恐しいのとで、しばらくはただ、莫迦のように大きな口を開いたまま、眼ばかり動かして居りました。自分一人でさえ断(き)れそうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人数の重みに堪える事が出来ましょう。もし万一途中で断れたと致しましたら、折角ここへまでのぼって来たこの肝腎な自分までも、元の地獄へ逆落しに落ちてしまわなければなりません。そんな事があったら、大変でございます。
が、そう云う中にも、罪人たちは何百となく何千となく、まっ暗な血の池の底から、うようよと這い上って、細く光っている蜘蛛の糸を、一列になりながら、せっせとのぼって参ります。今の中にどうかしなければ、糸はまん中から二つに断れて、落ちてしまうのに違いありません。
そこで陀多は大きな声を出して、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己(おれ)のものだぞ。お前たちは一体誰に尋(き)いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」と喚(わめ)きました。
その途端でございます。今まで何ともなかった蜘蛛の糸が、急に陀多のぶら下っている所から、ぷつりと音を立てて断(き)れました。ですから陀多もたまりません。あっと云う間もなく風を切って、独楽(こま)のようにくるくるまわりながら、見る見る中に暗の底へ、まっさかさまに落ちてしまいました。
後にはただ極楽の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の中途に、短く垂れているばかりでございます。
このパラグラフだけだと分かりにくかったかもしれませんが、語り手はカンダタではないのです。実はこちらの翻訳依頼は言語選択を間違えて出してしまったものなので、これ以上翻訳していただかなくて結構です。よろしくお願いします。
評価ありがとうございます。
このパラグラフだけだと分かりませんね。今後はあらかじめそのようなご配慮もいただけると訳すほうも助かります。
そうですね。依頼形式が決まっているので長文を分割して依頼するのはなかなか難しいのですが、もう少し分かりやすくできるよう検討します。ありがとうございました。